「あ、す、すみません」
ベルボーイが扉を開けただけなのに、ヒートは妙に恐縮している。
「堂々としなよ」
「…あの人、親切だなあ」
「親切じゃなくて、あれが仕事なの…」
「うわ、あのでっけー花瓶の花、全部ナマの花か?」
「そうだと思うよ」
「俺の身長より高くね?」
「…そうだね」
なんて田舎者なんだ。僕の予想を超えている。
これじゃ僕は…どこか未開の地から顔と身体だけは抜群のブロンドを引っ張ってきたお金持ちみたいじゃないか。間違っちゃいないけどさ。
「ほら、最上階へのエレベーターはこっちだよ」
「フロントは?」
「泊まりたいの?」
「いや、そうじゃなくて」
「今日はカフェに来たんじゃないか。だいたい君はウォークインで泊まる気?」
このままグランドフロアで漫才するのも恥ずかしくなって、僕はヒートの腕を取ってエレベーターまで引っ張った。
「いいかい、今はハンバーガーとピザで過ごしてる君でも、大学卒業したら訳が違うんだよ?君はセレブリティになるんだ。この程度のホテルには慣れておきなさい」
「悪かったな、野蛮で粗野な田舎育ちで」
「育ちなんてどうでもいいよ。君は自分の実力で今の地位を手に入れたんだから。…まあ、せめて…かしずかれても萎縮しないようにね」
「だって、なんか申し訳ねえよ」
そうこう言い合っていると、エレベーターは滑らかに最上階に到着した。
一歩踏み出すと、右側はレストラン、左側はカフェ&バー。
受付で筋肉質なレディに名前を言うと、すぐに窓際のスツール席に通された。
壁一面のガラス窓と向き合うその席に座ると、目の前は見事な夜景。
最近国ぐるみで省エネ中だから、ちょっとネオンが足りないかな…。
「さあ、何を食べる?」
革張りのメニューを開いて、隣で緊張しているヒートに押しやる。
「…。なんでアメリカでフレンチのメニュー読まなきゃならねえんだよ!」
「ああ、結構よくある話だよ。読めない訳じゃないだろう?」
「読めるけど、読めるけど…なんか納得いかねえ。しかも高っ!」
「高いって、ここでディナー食べたら最低300ドルだよ」
「相対評価の話をしてるんじゃねえ!」
「僕が払うんだから君は値段なんて見なくていいんだ」
あーあ、これじゃ本当にブロンドの(野蛮な)美女をエスコートしてるみたい。
「何食おうっ。えーと、ジャパニーズティーのブラマンジュ。季節のトライフル。ナッツとカスタードのタルト、マルメロのチーズケーキに…」
「財布が僕って判った途端にそれか」
「サーフどうしよう、一杯あって迷う…」
「いっそ選択権を僕に与えるっていうのはいかが?」
「んー、そうするかな…」
僕は給仕に目配せし、クレープシュゼットを二人前、注文した。
「ここに来てわざわざクレープ?」
「そうだよ?…多分、ヒートはそういうの好きじゃないかなと思って」
「…クレープは好きだけど??」
「ま、見てれば判るよ」
「超ゴージャスなトッピングとか?」
「いや、むしろシンプルじゃないかな。その分材料が良くないと美味しくないけれどね」
「ふーん…」
たわいのない会話を交わすうちに、若い給仕が大きなワゴンを運んできた。
ブランデーやリキュールのボトル、ソースパン、バターの塊、小皿に入った砂糖、そして4つに畳まれたクレープの皿。山盛りのいちごとオレンジ。
「おおお、もしかして実演販売っ?」
「…はんば…。ま、まあ、似たようなものかな…」
給仕はナイフとフォークだけで器用にくるくるとオレンジを剥いて絞り、熱したソースパンにバターを落とす。
「すげ…!あの、きちんと剥けるまで、どんくらい修行したんですか?」
好奇心で瞳をキラキラさせて、ヒートは給仕に問い掛けた。
「わたくしですか。わたくしは人より不器用でしたから、半年はかかりましたよ」
「へえ…努力してるんですね。あ、いい匂い!」
「バターが重要なのですよ。様々な秘密のスパイスが練りこんでありますから」
給仕は褒められたのが嬉しいらしく、急に饒舌になった。
熱されたバターにオレンジの汁がじゅうっと落とされる。
ヒートは完全にワゴンの方を向いて、給仕の手を見詰めている…。どこかで見たような光景だな。そうだ、デパートのショウウィンドウにしがみ付く子供そっくりなんだ…。
「うわあー。マジいい匂い」
「これからお酒が入りますから、もっと良い香りになりますよ」
髪を短く刈り上げた給仕は、微笑みを絶やさない。
…ヒートって、器用なものに惚れやすいのか?
オレンジの汁の中に、フォークですくわれたクレープが敷き詰められる。
「上手いもんだなー。俺だったらフォークでクレープ刺しちまうな。よく破れないなあ…。な、サーフ?」
「仕事なんだから当然だろう」
「はは、練習中は破いたこともございますよ」
ああもう、僕とヒートの会話に入るなよ!調理中に喋ったら唾液入るかもしれないだろ!このクソ給仕!
殺意を込めて給仕の顔を睨み付ける。仕事熱心な彼は、手元から目を離さないみたいだけど。
ソースパンの中にブランデーが注がれ、ぼうっと蒼い炎が広がった。
「おおっ…きれい…!」
「ありがとうございます。これで完成です」
ソースの滲み込んだクレープが、白い大きな皿に並べられる。スライスされたオレンジといちごもソースと絡められて、その上に置かれる。
別の給仕がアイスクリームを持ってきた。
「こちらはロックソルトとフレッシュミルクのアイスクリームでございます。クレープとご一緒に…」
説明はいいから帰れ。とっとと帰れ。早く帰ってしまえ。
…僕の純粋な願いが通じたのか、給仕たちは頭を下げて戻っていった。
「いただきまーす!お、やわらかい」
クレープを大きく切り分け、アイスクリームをなすり付け、ヒートは大口一杯頬張った。
「ん…!ふあ、あちっ…ふ、んまーい…!超うまいー!」
「いいリアクションだね…。路頭に迷ったらグルメリポーターでもやるといいよ…」
「ん?うまいもんは、うまい。そんだけだろ。お前は食べねえの?」
「んー、ヒートのおいしい顔見てたら満足だなあ」
「お味のほうはいかがですか」
またあの給仕か!!
「ああ…いい仕事してるね…」
「超うまい!」
「ありがとうございます」
空気読めよ、三流!!
…チップならいくらでもやるから、さっさと僕たちの前から消えてくれ…。
「どうした?サーフ、具合でも悪いのか?」
「ううん、全く問題ないよ」
放置するのも勿体無いので、クレープを一切れ口に放り込む。
熱く溶けたバターに、、きめ細かいクレープが浸っている。ブランデーの深い香りにオレンジといちごの果汁が程よく混じり、後味は案外さわやかだ。
添えられたアイスクリームも、クレープの味を殺さない程度の濃厚さが心地よい。
…確かに味はいいな。
隣を見ると、ヒートは唇をバターでいやらしく光らせてご満悦だ。
「おいしかったあ…」
「もう食べ終わったの」
「うん…しあわせなあじだった…」
たかがクレープで、ヒートは天にも昇りそうな勢いだ。
「はい、ひときれおすそ分け」
「あ…。サーフ…やさしいな…」
ヒートは酔っ払ったように頬を赤らめて、とろけた目で見詰めてくる。
…この顔もどこかで見た事があるな。
ああ、あれだ。ヒートのおねだりに逆らわず、素直に突っ込んでイかせてあげると、だいたいこういう嬉しそうな顔してるんだよね。可愛いヒート。
たっぷりのバターで調理されて、僕のヒートは実においしそう。
「うまーい…。バターといちごってこんなに合うんだなー…」
ん…。調理場の方から、また給仕が歩いてきてる。
何の用だ?…そうか、コーヒーを持ってきたのか。
「ヒート、こっち向いて」
「ん?」
僕は、クレープの頂点に鎮座しているいちごを摘んで、咥えた。
「何?…あ、んふ…っ」
ミルクの香りがするやわらかい唇に、そっといちごを押し込む。
「んぅ…んっ!」
「おすそわけ、もういっこ」
ヒートは真っ赤になりながら、いちごを噛んでいる。
視線の端で、給仕の歩みが遅くなったのが判った。
そうそう、それでいいんだよ。一流ホテルならそのくらい気を利かせてくれなくちゃ。
「サーフ…あのな…」
「おいしかった?」
「おいしかった、けど」
「ヒートがおいしいって言ってくれると、ご馳走のしがいがあるなあ」
「そのっ…。すげえ、おいしかった…」
「ん、素直でよろしい」
給仕なんかに見せたくないから、僕はナプキンを使って、ヒートのバターまみれの唇を拭ってあげた。
「コーヒーをお持ちしました…」
「ああ、ありがとう」
素晴らしいタイミングでコーヒーが来る。まあ、今までの不手際はこれに免じて許してやろう。
給仕はそそくさと戻っていった。
「ヒートはすぐ顔に出るからいいね」
「何だよ、突然」
「顔がおいしいって言ってる。おいしそうな顔」
「…顔がうまい???」
「うん。おいしいもの口にして、しあわせだーっていう顔だよ。判る?」
「何となく…」
「そう、だから僕はヒートとセックスするのも好きだし、ごはんを食べるのも好きなんだ」
熱いコーヒーを啜りながら、僕はホテルの予約を取らなかったことに心底後悔していた。
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